安積疏水のビックリ!
行ったよね♪安積疏水。僕らがしらべたんだ。
おさむらいさんがいた頃までは7千人しかいなかった村が、今は、福島県を代表する34万人の大都会、郡山市になったのよね!
この平野は昔から草ボーボーの荒地で、キツネしか住んでいなかったんだ。小川のような川が5、6本流れているだけ。それがだなぁ、水路を造っただけだぜ、いま、郡山市でとれるお米の量は、全国で第2位!川もない平野が全国でトップクラスの水田地帯。こんなことって、ありえる!?
水路ってスゴーイ!!さあ、約束よ。みんな、疏水のこと調べてきたわね?
モチよ。おい、パッカ。ほら、お前からだ。
皆さん。せーしゅくに。せーしゅくに。
この広い平野は小さな川しかなくて水がなかったのです。ですから、田んぼも作れなくて、江戸時代までは誰も住まない荒れ野原でした。ちょっと皆さん、この図を見てください!
この平野で一番大きなのは阿武隈川ですが、この川は平野の一番低いところを流れています。ですから、この平野に阿武隈川の水を引くことはどうやっても無理でした。
でも、よく見ると水無山や高旗山の向こうには、日本で4番目に大きい猪苗代湖があります。
郡山市の断面図

この山の真ん中にトンネルさえ掘れば、安積平野にたくさんの水を引いてくることができるのです。この天才的アイデアを、福島県のエライ様だった中条政恒おじさんにテーアンしたのは、何をかくそうこの僕なのです。

しかし、その工事にはものすごくたくさんのお金がかかります。昔は、ブルドーザーやクレーンみたいな機械もなかったので、トンネルを掘るのもぜんぶ人間の手、スコップ一本です。何万人という人を雇わなければなりません。この町にはそんな大金はなかったのです。
その頃、明治維新でたくさんのお侍さんたちがリストラされて、大問題になっていました。中条おじさんたちは、地元の商人に呼びかけて、安積原野の開拓に乗り出しました。たくさんのお侍さんたちがやってきて、クワを片手に荒れ野原をきれいにし、田んぼをこしらえました。
開拓はたいへんな仕事でしたが、だんだん進んでいきました。
それを知ったのが、明治天皇のお供で福島県にきていた大久保利通おじさんだったのです。大久保おじさんは、明治維新を成功させた超一流のセレブ。国のエライ様でした。
中条おじさんは、猪苗代湖から水を引いてきて、安積原野1万ヘクタールに黄金の稲を実らせる計画をテーアンしました。おじさんはそれまでに、この地方の山の中を全部歩き回り、徹底的に調査していたのです。大久保おじさんは感動しました。そして、明治政府の大事業として、この平野の開拓に大きな夢を描きました。
その後いろいろありましたが、ついに明治12年、歴史的な安積疏水の工事が始まりました。
たった7千人の町に、のべ85万人の人たちが働きました。
それはそれは天地が揺れ動くような大工事でした。
この写真を見てください!山の中腹に大きなトンネルが掘られ、ついに猪苗代湖の水は勢いよくこの平野にあふれ出したのです(涙)!
続いて、造った水路は合計366km!なんと高速道路で、郡山から東京を通りこして富士山のふもとまでの長さと同じ距離なのです。
オヤツの時間なので説明はこれで終りです(パチパチパチ!!)。


中条政恒
大久保利通
はい。よくできました。オヤツは、ぜんぶ食べちゃいました。
ぐるぐる委員会 1 安積疏水のビックリ!
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