水土里デジタルアーカイブス詳細

照井地区

所在地 岩手県 一関市
農地面積 約 1,536 ha

本地区は岩手県の最南端で、西に栗駒山・東に北上川が位置している。 照井堰用水の歴史は古く、およそ850年前の平泉文化が栄えた奥州藤原時代まで遡る。当時の鎮守府将軍藤原秀衡公の家臣であった照井太郎高春が最初に企画し、開鑿されたのが起源とと伝えられている。その後照井太郎高春は工事半ばにして藤原秀衡公と没し、更に泰衡公の代に藤原氏は滅亡するもその下流の水路は高春の子、高泰が父の遺志を引継ぎ荻荘荘司と相謀り、私費を投じて竣功し、村々にかんがいさせたと伝えられている。農民たちは長い年月の夢であった用水に歓喜し、照井氏の偉業を称えその姓を付け照井堰と称したのである。以後、時代時代の統治者のもと大崎掃部左衛門、柏原清左衛門、柏原新十郎、千葉半右衛門などの幾多の先人が私費を投じて穴堰の開鑿に心血を注ぎ、水路の大改修が行われ現在の路線に近い姿となってきたのである。

それからは照井堰の管理は県・郡役所・水利組合が行っていたが、昭和初期までは大部分が素堀り水路のままで、毎年その維持管理は困難を要しており。また雨の降る度に沢々から土砂が流入し、その都度流下農民の出役によって土砂上げ作業があり。また旱魃の年にはほとんど水が流れなくなり、相当の困難を要したのであった。しかし、その後土地改良区管理になってからは照井堰用水改良事業(S24~30 )をはじめ、各種事業を取り入れ、石積み或いはコンクリート水路での改修を行い、末端まで用水が十分に行き届き、最近では用水不足の話は聞かれなくなり、また度々あった水喧嘩も聞かれなくなったのである。

また水土里ネットてるいは長年地域と共に守ってきたこの施設を更に照井堰の歴史や地域に果たす多面的な役割などを地元小学校や地域住民に伝えながら地域と連携した各種活動をし、伝え流れる清流・照井堰を未来につなげる運動を展開している。

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事業実施前

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昭和20年

6月頃に行われていた田植え風景
平泉市平泉字金堀沢地内

昭和24~30年

磐井川渇水時の大〆切頭首工状況

工事中

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昭和24~30年

大〆切頭首工重機による工事の状況

昭和24~30年

大〆切頭首工制水門新設工事の状況

昭和24~30年

人力による照井堰隧道掘削状況

昭和24~30年

水路石積み工事状況

施設竣工時

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昭和24~30年

照井堰隧道出口
一関市厳美町地内

昭和24~30年

北照井堰
一関市厳美町地内

昭和24~30年

中照井堰
一関市中里地内

完成後の営農の状況

ID:0288

昭和30年代

末端受益地中里遊水地内の稲刈り後風景

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