新・田舎人31号

マガジンラック

新・田舎人

新・田舎人インタビュー
メダカ、赤とんぼ、涼しい風、田舎の風景まで、みんな百姓の生産物

宇根 豊さん(NPO法人『農と自然の研究所』)

宇根さんは、百姓仕事の意義、役割を積極的に評価し、「百姓仕事が自然をつくる!」と主張されている。一般に「農家、農村が自然を守っている」という話は理解できるが、「自然をつくる」とはどういうことなのか? 百姓仕事と自然の関係を中心にお話をうかがった。

※文中敬称略

写真:宇根豊氏 宇根 豊(うね ゆたか)さん
1950年、長崎県島原市生まれ。福岡県農業改良普及員を経てNPO法人(市民・民間の支援のもとで社会的な公益活動を行う非営利組織・団体)「農と自然の研究所」を仲間と設立し、代表理事となる。百姓の実践を理論化、思想化することをめざし、講演、執筆活動を行う。著書は『田んぼの学校』『田んぼの忘れもの』『田の虫図鑑』『減農薬のイネづくり』『「百姓仕事」が自然をつくる』など数多い。

―農業の「多面的機能」がクローズアップされています。その一つに、生態系や自然・生活環境を保全する機能があるといわれますが、宇根さんは「そうじゃない、自然を守るのではなく、百姓が自然をつくってきた」とおっしゃっていますね。「自然をつくる」という意味は?

宇根/「多面的機能」という言葉が出てきて一番やっかいなのは、あれはつくる技術の対象外なのです。たまたま結果的に(笑)生まれている機能です。百姓は、洪水を防ごうと思って田んぼをやっているわけではない。意識的に生き物を守ろうと農業をやっているわけではない。たまたま安全な米のために無農薬の技術を確立したら生き物が増えた、結果に過ぎません。洪水を防いだり、生き物を守ろうと意識的、計画的にやっているわけじゃない。ほんとうは百姓がそれを意識しないといけないわけです。
たとえば畔草を刈る、畔塗りをする、田んぼを見回るといった百姓仕事は、近代化技術から排除された、できればないほうがよい仕事ですよね。コストダウンのために、百姓仕事はできるかぎり省力化したい。ところが、こうした仕事が行われるから、畔が守られ、水が保たれ、洪水が防がれる。目的としてはいないけれど、田まわりをすることによって、畔の草を刈ることによって、生き物は豊かになる。それをきちんと位置付けていく技術、考え方、思想が大事になってくる。それができて、はじめて百姓も多面的機能を意識できるようになると思います。
そこで、「自然をつくるとはどういう意味か?」というご質問ですが、自然環境というのは、たまたま形成されているわけでは、けっしてない。やはり百姓が関わって、落ち着いているのです。
僕の友だちがこういっています。「自分は畔の花がすごく好きだ。それを人に訴える、自慢するようなことはできない。結果的に咲いているだけだから。ところが、前の年に畔草刈りを一枚だけしなかったら、花が咲かなかった。あーあ、やっぱり自分が畔草刈りをしているから、花は毎年変わらず咲いていたんだ。自分の仕事によって畔の花が咲いて、なおかつその花は一銭にもならないけれども、花を見ることによって自分は心が和み、元気づけられる」と。
そういう世界がすごく大事じゃないか。農学、農業はお金にならない世界を全部排除してきたけれども、意識的ではないにしても、お金にならない世界にも確実に自分の仕事がある。百姓仕事とは本来そういうものではないかと、僕は思うんです。
たとえば、自動車工場では自動車しか生みませんね。生産性を追求すると、バケツも一緒にできるなんてことはあり得ない。田んぼの場合は、もちろん米の生産を目的にしているけれども、どうしても赤とんぼも生まれれば、メダカも生まれる。涼しい風も吹くし、彼岸花も咲く。これは無駄なことか、けっして無駄ではないですよね。そういう世界があるからこそ百姓仕事ができるし、自然環境が支えられている。

―なるほど、そういう意味で、お百姓にとって自然は守るものではなく、日々の仕事の中でつくりあげている存在だということですね。

宇根/僕はおこがましく「百姓が自然をつくる」といっていますが、敢えてそういうだけの学問、思想の枠組みを生み出さなければイケナイという意味合いもそこにはあります。ですから、涼しい風だって赤とんぼだって、メダカだって、田舎の風景だって、農業生産物といい切ったほうがスッキリする。
自然との関わり合いを昔は無意識にやっていた。それをもう少し意識的に見ていくことが、新しい考え方でしょうね。その場合、誰が自然を意識的に見ていくかというと、そこに暮らしている人が見るしかないんです。調査員や学者ではなく、そこの住民ですね。
話を田んぼに戻して、百姓自身が多面的機能を、自然を意識的に見るしかない。だけども、百姓はこれまでそれを無意識的にはやっていましたが、意識的にはやったことがない。自然を意識的に見る訓練も習慣も全然ない。「自然をつくる」というのは、そういう意味で2400年間の田んぼの歴史で、はじめて百姓が自然を意識的に見ることなんです。
結局、多面的機能にしろ、自然をつくることにしろ、ホントウに百姓が自分の実感として胸を張っていえるかどうかにかかっていると思います。そのためには、とんぼや彼岸花、景観、自然が具体的にどういう百姓仕事で支えられているのか、明らかにすること、それを意識化することが大事です。
意識化は、それが技術になるということです。別のいい方では、お金にならないものを生み出す意識性、技術を明らかにし、形成することではないでしょうか。
金儲けにならないものを生み出す百姓の意識性=技術がないと、多面的機能や自然保護は近代化の前で宙ぶらりんで終ってしまうでしょうね。

(この記事は「新・田舎人」31号のインタビューを抜粋したものです。)


バックナンバー

疏水名鑑

デジタルアーカイブス

水土の礎

Think About 2030

世界かんがい施設遺産