新・田舎人22号

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新・田舎人

新・田舎人インタビュー
人間と自然が共生する中で、立派な本物の作物ができる。

英 伸三さん(カメラマン)

英さんはドキュメンタリー写真の第一人者であり、60年代から農業と農村を通して日本社会の変遷と矛盾を追い、近年は根源的な”農の構え“を世に問う作品を送り出している。厳しくも温かいその目には、農業と農村の現実、課題、そして展望はどう写っているのだろう。

※文中敬称略

英 伸三さん(はなぶさ しんぞう)
1936年、千葉市生まれ。東京綜合写真専門学校卒業。フリーカメラマン。東京都狛江市在住。写真集は『農村からの証言』(朝日新聞社)、『偏東風に吹かれた村』(家の光協会)、『新富嶽百景』(岩波書店)、『日本の農村で何が起こったか』(大月書店)、『一所懸命の時代』(大月書店)、「農れんれん」(日本カメラ社)ほか多数。1965年日本写真批評家協会新人賞、1971年日本ジャーナリスト会議奨励賞、1982年第7回伊奈信男賞、1983年ボローニャ国際図書展グラフィック賞などを受賞。

心の中にある“ふるさと”

―ご出身は千葉とうかがっていますが。

英/ええ、千葉市です。小学校6年のとき東京の品川に移り、それからずっと東京です。

―主に都会暮らしというわけですね。

英/ただ子どものころは、千葉市内といっても現在とはずいぶん違い、田舎でしたから、学校への行き帰りは田んぼの中。海も近く、休み時間に泳いだり、放課後に釣りに行ったりと、遊びもほとんどが自然の中でした。ガキ大将に海に放り込まれて水泳を覚えたり、山のほうはまた別のガキ大将に木登りを教わったり、農作物を盗ってくる手伝いもさせられた(笑)。
東京に移ってから千葉とは縁遠くなりましたが、数十年ぶりにふっと思い出して行ってみたら、まったくふるさとの面影はない。海は工業地帯になっていますし、住んでいたところも都市化しちゃって。どこにも手掛かりを見つけることができないくらいの変わり様で、がく然としたことを覚えています。
ですから僕にとっての”ふるさと“は、いまは完全に消えていますね、心の中にあるだけ…。


高度経済成長を支えた60年代農村の現実

―最初の写真集が60年代の農村をテーマとした『農村からの証言』(1971年出版)ですが、そのきっかけというのは?

英/いまお話したようにふるさと、農村体験というのは幼いころしかありませんから、農業についての知識はゼロに等しいものでした。どうやってお米をつくるのかも知らなかった。だから逆に、農業を新鮮なものと感じるベースになったのかもしれませんね。
それと僕が写真をはじめたころは、高度経済成長(※)の真っ只中にあたり、日本の農業が急速に近代化していく時期なんですね。それまで四つんばいになって行っていた農業から、農地が整備されて機械が入り、効率の良い農業へ変化していった。収穫量も大幅に増えた。しかし、一方で色々な問題が生じてきた時期ですね。

 

その一つとして、農家のお母さんたちの内職があった。それは昔からの農家の内職と違って、トランジスタラジオやテープレコーダーなどの弱電機器につかう部品、抵抗器やコンデンサーを組み立てるものです。そういう話を知り合いから聞き、撮影に行ったのが本格的に農業にかかわった最初ですね。
近代化の一方で、内職をしなければならない農家。しかも、内職をどういうところでやっているのかというと、納屋や酪農を辞めてしまった畜舎なんです。空っぽになった畜舎を板張りにして、オバちゃんたちがハンダ付けなどの作業をしている。
実は高度経済成長の中で畜産の振興も政策としてあったわけです。ところが、当時の学校給食にはアメリカから粉ミルクが入っていて、生乳は大量に消費されない。酪農家としては、輸入を中心とした配合飼料、エサ代にお金がかかるうえに販路は広がらない。じゃ販売価格はどうかというと、乳価は据え置きのまま。で、酪農を辞める農家が少なくなかった。
農家の内職と酪農の問題が、畜舎という入れ物を契機にして結び付き、しかもそこで行われている農家のオバちゃんたちの仕事は農業とまったく関係のない、当時の日本の花形産業であったエレクトロニクスです。
政治を含めて農業というものの置かれている状況が、農家の生活から見えてきた。ある意味で非常にショックを受けました。高度成長を支えていた大きな要素には、農村のオバちゃんたちの内職や、地下鉄、ビルをつくっている出稼ぎのオヤジさんたちの存在があった。様々な分野、とくに重工業部門に大量の人的資源を提供したのは農村でした。ではそういう役割を担った農村はどうなったかというと、人材がいなくなり、ジイちゃん、バアちゃん、カアちゃんの”三ちゃん農業“といわれるものになっていった。中でも農業の主力となったのはカアちゃんで、その労働力もエレクトロニクスの末端で内職として提供されていたわけです。
そうした現実の中で農業の近代化が、まさに突貫工事のように行われていった。その時代約10年間は、僕にとって農業の問題であればみんな新鮮な驚きであったし、どんどん変わっていく農業や農村の姿に興味をひかれました。

※高度経済成長/1950年代の戦後復興を経て、池田勇人首相の所得倍増計画をきっかけに、1960年代に我が国は著しい経済成長を遂げる。60年代の年平均実質経済成長率は10%を超え、農村から都市への人口移動をはじめ社会全体が大きな構造変革期を迎えた。


いくつもの難問を抱える現代の農業と農村

英/つまり、高度経済成長を転機として、日本の食生活が米と漬物ではダメになったということですね。パン食へ変わっていった。農業が大きく変わる根っこのところには、日本人の食生活の変化がある。 外国から小麦を大量に輸入して、パンの食事を日本人がはじめる。それにつれて肉も必要、牛乳も必要、野菜、果物、米中心だった農業も多品目の作物をつくらなければならなくなる。その勢いで行けば日本の農業はものすごく発展したはずですが、気がついてみたら農村には人がいなくなっちゃった。
しかも農業技術の向上により、今度は米が余るようになってしまった。
国際化という問題もあります。これまでは日本人がつくって日本人が食べるのが普通だと考えてきたわけですが、そうじゃなくなりつつある。安く生産できる外国から買って、消費すればいいという考え方が出てきた。安いところから買うというのは消費者としては当然のことで、それはそれで経済の原則なのでしょうが、気がついてみたらほとんど外国のものを食べているわけですよ。
これから日本の農業はどうなっていくのだろうと考えたとき、僕には答えが見つからない。とくに農村の後継者、若い人材の不足ですね、深刻なのは。95年から96年にかけて約1年間、鹿児島の農業を取材(※)しましたが、それは60年代、70年代に撮っていた時代状況のようなものを重ね合わせて農村を見るのではなく、”農業って一体なんだろう?“を追いかけたものでした。農に対する心とか、農業に対する基本的な構えですね、それがいまどういう形で鹿児島の地で伝えられ、実際に農作業の中で生かされているのか、そんなことを見たくて行ったのですが、やはり畑へ出て一生懸命働いている多くはお年寄りでした。確かに中高年の農民は技術をもっていて、火山性の厳しい土壌条件を抱えながら、実に丁寧に農作物をつくる。それには大きな感動があるわけですが、若い労働力が農村にいなくなっている現実は辛いものがあります。

※鹿児島農業の取材/英さんは、鹿児島県土地改良事業団体連合会の依頼で約1年間 にわたり写真取材を行った。その成果は、フォトドキュメント『鹿児島発・農連連―英伸三写真集』として、鹿児島県で開催された第19回全国土地改良大会において配布され、評判を呼んだ。また、この写真集は日本カメラ社から『鹿児島発農れんれん』として出版されている。


農業・農村は国の宝

農業は本来、国の宝であり、国の力ですよね。農業がしっかりしている国は、生活が豊かか貧しいかという問題以前に、国として非常に安定し立派だろうと僕は思うのです。
たとえば収入でいいますと、東京では一人生活するのに20万円、30万円必要ですね。それだけないと都会では暮らしていけない。ところが農村だとその半分の収入でも、十分に生活ができるし、ちょっとした贅沢ならできなくもないわけです。それなのになぜ、農村から人が出ていき、都市に集中するのか、基本的なことから考えないと、日本農業の再生はないんじゃないでしょうか。


自然のものを味わうほんとうの豊かさ

―英さんにとって農業、農村の魅力はどのあたりでしょうか。

英/そうですね、モノをつくるのはすごく楽しいことだと思います。モミから苗をつくって、その一本から何百粒というお米ができる。それだけを考えても非常に神秘的なことだし、太陽と土と水のエネルギー、自然の力にはワクワクしますね。
僕は友達と共同で、冬は3~4メートル雪が積もる新潟の豪雪地帯に家をもっていて、そこの棚田で毎年米をつくっています。ほかにスイカやキュウリ、ナスなどの野菜も植えています。たまにしか行かないから、地元の友達の世話になりながら、運良く食べられればという感じでつくっているわけです。やっぱり田植えは面白いですよ、楽しい。自然の中で、こう作物が実っていく様子には感動があります。
それに年を重ねたせいか、自然のものを味わうということがわかるようになってきた。美味しいとかマズイとかの基準は、食べて本物か偽物かの違いじゃないでしょうか。形は似ていても違う味のものがありますよね。たとえば、キュウリでも最近のものはまっすぐでツルツルでしょ。あれはキュウリじゃないですね(笑)。トゲトゲがあって青臭くて、種も多く丸かじりしても美味しかったキュウリはもうどこにもない。
本物をつくってほしいですね。自分の国でできる本物の米とか、野菜とか、豆とかね、そういうものを味わうことから農業を見たほうが楽しいのではないかと思います。たとえば、僕は山菜採りが好きなのですが、どこにどんな山菜があるかを知ると、本当に山が楽しくなる。また、山菜を通して春の雰囲気が体全体にしみ込んでくる。自然や季節との出会いですね。農作物でも同じではないでしょうか。
最近スーパーでは生産地の表示を細かくするようになりましたが、あれなんか興味がありますね。国内だったら、その農作物がどこでとれたものなのか。たとえばサヤエンドウ。鹿児島の火山灰土、礫土は水はけが良く、豆栽培には適している。季節で最初に出てくるのが鹿児島のサヤエンドウだし、次第に高知県のもの、そして関東地方のものが出てくる。同じサヤエンドウでも数週間のうちに産地がどんどん移動して、そこから季節の移り変わりが見えてくる。

 

エダマメも面白い。エダマメは食べてみないと美味しいかどうか、まったくわからない。最初はエダマメも一種類ぐらいだろうと思っていたのですが、いろんな種類があるんですね。場所によって呼び方も違う。季節にしても、春から夏にかけてビールの美味しくなる時期に決まったものではなく、夏の終わりごろに出る晩生のエダマメも濃厚な味がして、また美味しい。「時期的に、エダマメも終わりだろう」と思っていると、北の方では「イヤー、いまが一番の旬ですよ」という話になる。


風土、心意気が凝縮する本物の農産物との出会い

美味しいものに出会うと、その土地の風土とか、生産者の顔が想像できるようになる。マズイものではそれができないですね。外国のものは、すべて悪いとはいわないけれど、そういうものが希薄な気がします。つくっている人たちの心意気とか、地方の風土とか、土の質とか、そんなものがすべて作物に凝縮されていると思います。そうしたイメージがもてれば、いっそう食べることが楽しくなるし、農業やその土地についての興味がわいてくる。
たとえば、休日になるとみなさん旅行に行かれるわけですが、ゴールデンウィークなんか、観光地は人が山盛りになっていますね(笑)。ところが一方で、すごく素敵な町や村にぜんぜん人がいない。極端なんですよ。農産物に産地の風土とか生産者の顔を思い浮かべるのと同じように、もう少しイメージをもって日本を見ると、素敵なところはたくさんあります。そういう場所に行ってみると、美味しいものがあるんですよね。豆の専門店があったり、大正時代から続くレストランがあったり、町の生きている歴史、姿にふれて、美味しいものを食べて、土地の人たちとふれあうことによって、忘れられない町がいくつもできる。そういうことが、農業を大事に見つめていくことにつながるのではないかと思いますね。


被写体としての農村の面白さ

―ところで英さんは、農村景観をテーマとした写真コンテストの審査員をされていますが、その際、何か評価の基準になるようなものがおありになるのですか。

英/棚田やため池の写真コンテストを審査させていただきました。毎年行っているのは鹿児島の『農美展』という写真コンテストの審査員ですね。
僕の基準というより、そのコンテストにはコンテストなりのテーマ性がありますから一概にはいえませんが、鹿児島の場合は"農を日常の中でどういうふうに写真にしていくか“のコンテストなんです。
街で暮らしていると街の時間というものがあります。農村の場合だと農作業の中での時間サイクルがあるわけです。ゆったりのんびりしていながら、季節の節目にはものすごく忙しく、ダイナミックに展開されていく時間。あるいは一見何もなさそうな冬の農閑期にも、春の準備があり、少しづつ動きが出てくる時期がある。
最近は、お米を個々の農家で販売でき、一日でも早く出荷すれば、それだけ儲かります。しかも、従来は季節に合わせて作物がつくられましたが、農業技術の進歩により、季節に挑戦していくことができるようになった。ところによっては、黄色く実った田んぼの横で青々とした田んぼがあるという、田んぼが色分けされた風景も見られます。つまり早期米の早く刈り取る田んぼと、通常の刈り取りの田んぼが一緒にあるわけです。昔はなかった風景です。これなんか色の面でも農業のいまをあらわしている点でも、実に面白い。鹿児島の農業は、いろんな作物をつくっていますから、そういうものを見ているだけでも、写真の題材にはことかかないですね。


農業問題は国民全体の問題

―ご自身が写真を撮られるとき、何かテーマとされていることはおありですか。

英/そういうものはないですね。確かに僕の仕事には、自分のイメージに合わせて撮るものもありますが、農業や農村に関しては僕個人の気持ちを投入したからといってどうなるものじゃない。だから農村がほんとうにどういう状態にあり、どういう人たちがどういう暮らしをしているのか、を正確につかむことが仕事だと思っています。
ただ日本の場合ですと、世界一の農業技術を獲得したにもかかわらず、農業が衰退をたどっている。これは農村、農民も考えていかなければならないことですが、日本全体の問題だと思います。
突き詰めていうと、結果的にしろ日本がそういう道を選択したわけですから…。これから農村を再生していくのであれば、国全体がそっちへ向いていかないと再生できない。個々人がどうやって農村で生活していくかはそれぞれの知恵でできるかもしれませんが、日本の農業を大枠でもって変えていく、再生させていくということであれば、日本人全員が考えないと。


棚田やため池は生き物

棚田が最近注目を集めていますね。いままで見捨てられたような存在だった棚田が急に脚光を浴びはじめました。もちろん棚田を残すのは重要ですが、平場の田んぼの存在を忘れて、棚田ばかりに注目が集まるようでは意味がないと思います。棚田は米づくりの一つの原点。米づくりのたいへんさ、農の原点が凝縮されているわけです。しかし、そこから平場の農村の生産行為まで考えを広げていかないとね。観光的な面のみで棚田を取り上げていくのは間違いじゃないでしょうか。忘れてしまった農の原点が棚田にあるわけですから、棚田から学び、日本の農業をどうやって再生していくのかという方向への取り組みを期待したいですね。
ため池などももっと見直されていいんじゃないでしょうか。昨年、全国土地改良事業団体連合会などによって『ため池のある風景写真コンテスト』が開催されましたが、これなんかいい試みですよね。水がなければ田んぼや畑は作物をつくれないわけですから、水源となるため池がどういう場所にあって、どういう水の流れがあるのか、というようなことが写真からとても良くわかりましたね。
ともすると形だけを考えがちですが、棚田やため池は生きものです。棚田を残せばいい、ため池は水をためておけばいいというものではない。米をつくってはじめて棚田、ため池を守る人間の努力とその水を作物づくりに生かしてこそため池です。人の手が入り、人的資源がつぎ込まれて、生きているからこそ棚田であり、ため池。その点を忘れて、ただ風景として残そうというのではちょっと違うと思いますね。


自然や農とのかかわりを取り戻すために

英/高度成長、またそれ以降、地方を整備する事業は過疎化への歯止めとして行われたものが多かったと思います。トンネルがどんどんでき、道路は良くなり、河川もほとんどが整備されました。しかし、そのために農村、山村はどこへ行っても潤いがなくなりました。
僕が田んぼをもっている新潟の松之山町というところでも、もう20年ぐらい前から通っていますが、ずいぶん立派にキレイになっています。立派になっていますが、たとえば川はなくなってしまった。みんなコンクリートで固められた水路です。川というのは、その中で遊べたり、釣りができたり、土手でセリをとったりできるところでしょ。直線的な溝で、落っこちたら海まで行くぞ(笑)という水路では、恐ろしくて近づくこともできません。かつて小川にいたメダカやナマズなどもいなくなりました。ちょっと人間の手を加えすぎているという気がします。自然とともにある農業や農村、という大事な部分が断ち切られているような気がしてなりません。
そこには管理の効率や防災面の問題があり、突き詰めると過疎化があるのでしょう。村の人たちに聞いてみると、「昔の小川だったらゴミが詰まったり、土手の草を刈ったり、維持、管理がたいへん。それを行う人手はもうない」という話が出てきます。しかし、人手がいる作業をなくすという意味だけで、全部コンクリートで固めるのはやり過ぎですよね。過疎はわかりますが、もう少し人間ができる仕事を残していったらどうでしょう。
子どもやお年寄りが、自分たちの責任の中でできる仕事をどうやってつくっていくのか。もっと農にかかわっていけるような取り組みが必要ではないでしょうか。農村地域の学校なら余暇をつかって、農業の中で楽しく子どもなりの仕事ができるようにするとか。最近、そういう試みを行っている地域も見られようになりました。もっと大きな動きになればいいですね。

お年寄りでもそうでしょう。いまは80歳でも働けます。現役の農民としては最高の技術をもっているわけですよ。ちょっとやそっとの異変ではへこたれないノウハウをもっているわけです。冷害の年に東北へ取材に行きましたが、見渡す限り米ができていないところで、一角だけ穂がたれて米が実っているところがあったりする。それは間違いなく年寄りがやっています。季節の異変に対応できる知恵があるのです。年寄りの発言や存在をもっと大事に受け止めるシステムを、地域がもたないといけないですよ。


農業回復の兆し

―英さんの目から、最近の農村に新しい変化はありますか。

英/少し元気になってきたような気がします。これまでどうやって後継ぎを確保するかということに必死だったオトウちゃんたちが、ジイちゃんの域に達して「もう農業はいいよ。俺の代で終わりだ!」と、かなりあきらめの気分になってきた(笑)。そうすると、逆に「いいよ、俺がやるよ」と孫が継いだりしてね。農業や農村に対するマイナスイメージがだんだん薄れてきて、農業というものを自然の中での一つの暮らし方として、明るいイメージでとらえるようになってきたのではないでしょうか。行きつくところまで行って、その反動で回復の兆しが出てきた、そんな印象があります。
機械化や農地の条件整備が進み、働ける年齢がぐーんと引き上げられたことも大きい。先ほども話しましたが、80歳でも現役で働けるわけです。これは絶対にいいことで、そういう農民から農業で大切なことを引き出し、どう受け継いでいくか、若い人たちが真剣に耳を傾けたら、すごくスリリングで面白いことがたくさん聞ける。農業をやりたくなるような話がいっぱい聞けますよ。
それと農業を一度でも体験した人は、面白いと思うはずです。そういう機会をどうつくっていくか。村に住み農業以外の業種で働いている人たちも、月に何日かは農に携わることができたら素晴らしいですね。とりあえず公務員は月に何日間かは畑の仕事をするとか、率先してね。あるところで取材したら、「最初は命令されてマイッタ。町長が率先してやるからサボれない。しかし、やってみたらこれが面白い」という声も聞きました。単なる村おこしという発想ではなく、本来の村や町の生活のリズム、サイクルを取り戻す試みですよね。
農家もそうでない人たちも、農業について村の住民全員が真剣に考えて、農と取り組む。そうすれば、何よりも農業や地域への自信がもてるようになると思います。町や村の良さを体験することによって、自覚と自信が生まれる。それが都会ではない、村や町で暮らす意味ではないでしょうか。

※本文に掲載した写真は英さんの作品です。


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