新・田舎人16号

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新・田舎人

新田舎人インタビュー
農家が風格を持って暮らしてゆけるように。

柳沢京子さん(きり絵作家)

日本古来の渋紙をもちいた“きり絵”の第一人者として知られる柳沢さんは、地元長野県の風情をテーマとした作品で根強い人気を誇る。“ふるさとの風景”を描き続ける柳沢さんにふるさと観やこれからの農村についてうかがった。

*文中敬称略

柳沢京子氏 柳沢京子(やなぎさわきょうこ)さん
長野県生まれ。信州大学で美術を学んだ後、グラフィックデザイナーとなる。作品は“きり絵”のみならず銅板や陶板などにも刻まれ、橋やパブリックスペースを飾っている。「信州の四季」(講談社刊)、「野の花ぽえむ」(朝日新聞社刊)、「千曲川有情」(信濃毎日新聞社刊)など作品集も数多い。

土地改良に情熱を燃やした父

作品を拝見すると、“ふるさと長野”をアピールするものが多いようですが、何かきっかけでも?

柳沢/30年ほど前から、長野の良さというか、自慢できるものって何だろうと、ずっと掘り起こしてきているのです。そうすると、ちょうど私が育った田舎の風物とか暮らしなどが、いちばん自然なかたちで人に受け入れられるのではないだろうかと。考えようによっては、子ども心に染みついた“ふるさと”を頼りに30年間やってきていると思います。

お生まれは長野県の・・・?

柳沢/北佐久郡の浅科村です。浅科村は、浅間山と蓼科山の間にあることからついた名前で、合併する以前は五郎兵衛新田という村でした。

ご生家は農業?

柳沢/ええ、3百年以上続いた農家です。父は村会議員を28歳ではじめ、江戸時代末期に蓼科山から引かれた五郎兵衛用水の改良事業に取り組んでいました。

じゃ、お父さんは忙しい方だったんでしょうね。

柳沢/どんなに自分の家業が忙しくても、改良区の仕事を優先させる生き方でしたからね。何人かのおじさんたちに手伝ってもらい、母を中心に農業をしている家でした(笑)。ですから土・日でも休むことはなく、「家族がそろうから働こう!」って。

水を村まで運ぶため、それこそ一所懸命だったんでしょうね。

柳沢/子ども心にそれは感じました。当時は戦争というものが後をひいていた時代なんですね。お父さんが戦死されて、残されたお母さんと小学生のお子さんが田んぼをやらなければならないというケースもあった。そのお母さんはお子さんを連れて、“水番”までしなきゃいけないんです。水はほんとうに貴重でした。どうすればそんな苦労をしなくてもすむのか、どこの田んぼも十分潤うのか。父とすれば、一滴ももらさず水を村までもってくることが悲願だったのでしょうね。


“近代化”の次にくる課題

戦後農業や農村の近代化が課題とされた時代ですね。

柳沢/そう。ですが農業が近代化された時期を別の視点で見ると、村から小川がなくなったり、ホタルがいなくなったりした時期なんですね。

五郎兵衛用水は小さな川なんですが、口をゆすぐこともできるようなキレイな水が流れていました。ところがそういう小川も次第に農薬が混ざり、家庭雑排水で汚れていく。やがてそこもフタがかけられて、お陰で道は少し広くなりましたが、チョロチョロした水の流れは見えなくなり、季節になると出ていたホタルもいなくなった。私なんて、草の束でホタルをつかまえ、それを花へとじこめたり、ネギへとじこめたりして(笑)、よく遊んだ。そういう風情がどこにもなくなっちゃった。

功罪相半ばする近代化・・・。

柳沢/そういう意味じゃなくて、あの時代、近代化は大事なことだったと思うんです。たとえば父にしても決していい加減な気持ちではなく、用水の改良はほんとうに村人のためになると信じていた。18kmの道程を一滴の水ももらさず効率的に水を引いてくるためには、コンクリートのU字溝がよかったのでしょう。用水にしても川にしても、水を治めるためには、コンクリートを使うことが必要だったのではないでしょうか。みんな、その時代、時代に合わせて一生懸命になって水を治めていっている。それを後世の人間が簡単に間違いだというのはどうでしょう。

私がいいたいのは、そうした水を治める歴史を認めた上で、これからのことなんです。そのとき、川というのはもうちょっと私たちの暮らしに近かったはずだと、とくに小川は身近だったと。

近代化が良いか悪いかといった話ではなく、その次にくる課題というわけですね。

柳沢/土地改良にしても今けっこう悪くいわれますが、土地改良はその時代に不可欠なことだったと思う。ただ、これからを考えたとき、土地改良と環境を守るということが両立するように取り組んでいかなければいけないし、知恵によってそれができる時期じゃないでしょうか。


日本の美しい風土が保てない

柳沢さんは「千曲川有情」という作品集を出されていますが、きり絵作家として千曲川を歩かれた印象は?

柳沢/源流から河口まで、川の近くの風景を求めて歩きましたが、なかなか複雑でした。まぁ私の場合、きり絵ですから不要なものは外してしまい、気にいったものだけで作品つくることができますから。これが写真だったら撮りにくいでしょうね。でも、これからはカメラでも撮れるような、そのままで美しいといわれる川にしていかなければ、日本の魅力がなくなってしまう。

きり絵

農村も同じようなことがいえます。かつて農家というのはしっかりした家構えでした。門をつくり母屋をつくり、物置や土蔵があった。屋根を葺いて壁を白く塗ってね。確かに各自がお米を保有しておかなくなった事情で、土蔵は無用かもしれません。それに土蔵の補修は、難題でしょう。また、物置も粗末になっている。スケッチに行っても、風格をもった農村が刻々と姿を変えていると、つくづく感じますね。

今は農業に携わっているわけではありませんので詳しいことはわかりませんが、農村は経済的にかなり厳しい状況にあるといえませんか。農家が風格をもって誇りをもって暮らしてゆけるようにしていかないと、日本の魅力はどんどん減っていくという気がします。農村が美しくないと日本の美しい風土は保てない。農村が美しいということは、農業がしっかり行われ、田畑が荒れることなく、作物がつくられているっていうことですよね。

そういう感性、美しさの基準にも、農村のお生まれという点が影響を与えている?

柳沢/農村で育ったからこそわかる情景の理解とか、自分の気持ちを表す術とか、絵にしても文にしても大きな部分を占めていますね。決して裕福ではなかったけれど、誰もが農村に暮らすことに誇りをもって、私を育ててくれた。生きていく上で何が大切か、その実感が身についたのじゃないかと、今あらためて思います。ですから、健全な日本人の風土のためには、農村で農業をしながら子どもたちを育てていくことは、実は素晴らしいことなんですよ。チャンスがあれば、私ももう一度農村の豊かな自然のなかで暮らしたり、ものをつくる時間がもてたらいいなぁと思いはじめています。


欧州と日本の農村の違い

ところで、柳沢さんは個展などで欧州へ行かれると聞きますが、あちらの印象はいかがですか?

柳沢/欧州の素晴らしさは、パリだとかの大都市だけにあるのではなく、次の都市へ移動する間の郊外、とくに田園地帯の美しさだと思います。あの美しさは1年や2年でできるものじゃないですよ。

たとえばドイツへ行っても、そりゃ国の広さとかいろいろ違った状況があるにしろ、車窓からどこを見ても「困ったな・・」という風景は見られない。こちらの言葉で「ごったく」っていうんですけれども、そういうところは見当たらないんですよ。ババリア地方の農家へ行っても、日本でいえばペンションのような農家、明日からでもお客様を迎えられるような農家がふつうにあるわけでしょ。薪の積み方ひとつを工夫して、窓ガラスをきれいに磨いて、家の回りを植栽で飾り。そういう農家が面となって広がるのが欧州の素晴らしさ。私は「あ!日本と違う」って、すごいショックを受けました。

日本と欧州の農村の違いはどういった要因なのでしょう?

柳沢/そうですね。やはり社会の根底に、農業を大事に思う気持ちがあるかないかの違いではないでしょうか。私たちは農家がつくる食料によって生きている、生かされている。しかも、農村は食料を生産する工場でもありますが、そこは心を養うための天然風土でもあるわけです。日本の場合、そのへんの考え方を忘れていた時期が30年ぐらいあるんじゃないでしょうか。お金を出せば食べ物はどこからでも買えると錯覚してきてしまった。

実は命を大切に守る食料は、経済優先でだけ考えてはいけなかったのではないか。知らず知らずに命にしのびよってきている害の影響がありそう。環境ホルモンなどもその一環といえるでしょう。

でも、私もこんな偉そうなことをいっていますが、農業や食べ物の大事さを忘れていた時期があります。たとえば土のついた野菜をもらうでしょ。すると、その置き場所に困っちゃうんです。土のついた野菜をおけるように台所をつくってない(笑)。しかも、このあたりは寒いから家に床暖房が入っているでしょ。ジャガイモなんか床においたらすぐ芽が出ちゃうんです(笑)。そういう台所をつくったのは私ですから。農業や食べ物を見失った暮らしとなっている。

でも、世の中の大きなうねりみたいなもので、みんなで軌道修正していけるところはしていかないと。ひとり一人がね。


スイスにも負けない農村風景

具体的に、柳沢さんは日本の農村のどんな部分を美しいとお感じになるのですか?

柳沢/長野県をはじめ、日本の農山村は風景としてスイスにも決して負けていないと思うんです。遠景に山が見え、昔ながらの家構えの農家と一面に広がる田んぼ・・・。安曇野(長野県)の田園風景など、ほんとに素敵ですよね。

富山県などへ行っても、ほ場整備で大きくなった四角い田んぼを背景に屋敷林を植えた農家が点在しています。それぞれが格式をもって。まぁ一言で言うと「この地域は豊かだな」ってっ気がします。そこの住民の方々は、ほんとうに豊かな毎日を送っていらっしゃるのじゃないかと。それは経済的に農業がどうかという問題だけではないと思うのです。心の豊かさ、農村の誇りの問題も大きな部分を占めている。

もちろん昔ながらの暮らしがすべてイイというのではありません。あまりに不便じゃ困るからちゃんと機能性も取り入れていくわけですが、世界には不便さと機能性の折り合いをつけた美しい農村がいっぱいあるわけでしょ。

もう一度、私の村の話にもどって、そこでは家の回りはそれぞれが責任をもって清掃し、一歩離れるとワーと広がる田んぼから浅間山が一望できる。人の暮らしや、屋根の形、壁の意匠など家の構えも、風景のなかできちんと調和していた。海野宿、奈良井宿(長野県下の宿場町)などの美しさを考えると、日本の地域に根ざした棟梁のデザイン力はスゴイじゃないですか。ところが今は、風景が本来もっている美しさのレベルを人口造作物が下げている。私、そういうのを見ると「申し訳ないなぁ」と思えてなりません。

きり絵

たとえば景観面で具体的に気になるのが農村の青い屋根です。茅葺きの屋根の形を残してトタン葺きにする。新しい家よりは住みにくい面もあろうかと思いますが、その努力は並々ではない。それを青い屋根にしたらすべては台無し。「屋根は見るためにあるわけじゃない。勝手なことをいうな」ってお叱りを受けるかもしれませんが、あの青い屋根をやめるだけで、信州の青い空や森の存在がきわ立ってくるんですよ。極力屋根は濃茶にしてほしい。

景観面を考えると、それは農家だけの問題でもないような気が・・・。

柳沢/そう。公共建造物群などのデザインが重要であることはいうに及びませんが、田園風景をあずかる農家に、農村に、もうちょっとお金をもってきてほしい。暮らすだけで精一杯じゃ、景観を守ったり、誇りをもったりできないですよ。農村の人たちが誇りをもって農村で暮らしてゆくことができるよう、青い屋根の問題だけじゃなく、景観を守っていくためには、ある程度税金を注ぎこむことを考えてもいいのじゃないでしょうか。


子どもや女性の声を活かして

さて、川や村の“これから”についておうかがいしたいのですが、柳沢さんは「女性や子どもの参加を」といわれていますが。

柳沢/何度もいいますが、みんな一生懸命に山を治め川を治めていくのですけれど、今の時代はもうちょっといろいろな立場の考え方や発言、たとえば子どもとか女性とかの発言を取り入れていったらどうかと。

千曲川を歩いて、これまで安全第一という考え方で全部が決められているという気がしました。もちろん安全は大事なことですが、あまりにコンクリートで固めすぎている。江戸時代から培ってきた治水工法などを思い起こせば、もう少し自然と調和した川になるのじゃないでしょうか。あるいは、水辺には野鳥が集まってきますよね。でも水辺がコンクリートと鉄条網で囲われていたら、それを見ることもできない。女性は美しいものや優しいものが好きです。その感性は直感的な女性の能力なんですね。川を安全の面からだけではなく、もっと足を水に浸したいとか、せせらぎが聞きたいとか、水面を見つめていたいとか、感覚的な面から考えてゆくためには子どもや女性の声は大切です。

農村でもそうです。私、結婚して農村に住んで子どもを育ててくれている女性に「ありがたいなぁ」って感じています。そういうお嫁さんたちに喜んでもらえるような政策や企画をしてほしい。そのためには女性の意見を聞くことです。たとえば公園をつくるんだったら、どんな公園にしたいか地域の女性に聞くことです。男の人たちが都会の頭で考えた公園じゃダメ。農村に住んで子どもを送り迎えし、農業や家のことをしたり職業をもったり、その土地で暮らしてくれている女性がどういう公園を望むのか。それを聞かないで、公園づくりしても無駄じゃないでしょうか。今まで、女性や子どもの声を取り入れることがあまりに少なかった。こういうようにしたら村が暮らしやすくなる、私の村の素敵なところが活かされていないなど、女性の意見はとても具体的心情的です。

ただ誤解されたくないのは、女性や子どもの意見を全部聞き入れて、といっているわけではないのです。私は、みんなが気楽に出て行ける場、自由に発言できる場をつくってほしいとね。違った意見を交換し合わないとダメなんです。だから女性の意見を一方的に取り入れる必要もない。思うんですけど、女性はどちらかというと直感や発案に優れている。でもそれを長期的に展望しながら実施、実現していくという点では男性に能力があるような気がします。ですから、男性も女性も一緒になって考え補いながらマイナス面をクリアーし、村をプラスにもっていくことが重要だと思います。


新しい親戚づくりを

都市と農村の交流という面ではいかがですか?

柳沢/あまりいろいろの村を知らないから、すぐ生まれた村のことに戻っちゃうけど、そこには農家のすごい大きな家が残っているのです。なぜ大きいかというと養蚕農家だったんですね。だから2階は総板張り。で、養蚕もない、子どももだんだん数が減ってきて、そんなにスペースがいらないから、2階はほとんどつかわれていません。そういうところへ、都会から人を迎え交流したらと思うんです。今だったらグリーン・ツーリズムっていうんでしょうが、そういう交流のなかで新しい親戚づきあいができてゆくのではないでしょうか。都会の子どもたちも、そういうところでひと夏、ふた夏過ごせば、そこが新しいふるさとになっていく。

私、ある方がおっしゃった「都会で学ぶ大学生たちはふるさとをほしがっている」という言葉が印象的なのです。都会の子どもにとってお父さんやお母さんの出身はふるさとでしょう。ただ“そこはお父さんやお母さんのふるさとであって、実は私のふるさとではない”という論理。自分のふるさとは、自分の生き方や交流から新たに創っていくことを望む子どもは少なくないような気がします。また、受け入れる農家にしても、いろんな意味で外からの風を運んでくれる窓口として有意義じゃないかしら。

そのためには空いている部屋をつかえるようにしなければならない。家族のバス・トイレと分けてユニットのバス・トイレでもいい、トイレを水洗にするとか、シャワーぐらい浴びれるようにするとか、改築が必要になってくる。そのお金をどこかから無利子で貸していただければ、勝手なことをいいますが(笑)、都市と農村の交流も進むと思いますね。それに、あまり農業や農家の暮らしに負担になるような交流では長続きしない。交流を行いたい農家に道を開けてあげられるような、システムをきちっとつくっていかないとね。


農村はグレードアップする時期

そろそろ時間も迫りましたが、農業や農村について何かおっしゃりたいことがあれば・・・。

柳沢/きり絵作家として、思い出だけを絵にしているなんて限界があります。今見る、郊外から農村に至る風景を絵にできなければ私の活動も限界なんです。だから、これからつくられていく風景も美しくあってほしいと思っています。

心の時代っていわれるでしょ、その心には何か養分が必要なんですね。そうじゃなければどんどん心は荒れてゆく。養分って何だろうと考えると、笑いだとか「わーきれい!」という感動だったり、「すごく気持ちいい木陰で風に当たった」っていう喜びだったりするわけです。

いろいろな方の努力で、女性でも耕うん機を運転できる道になった。ガダガタ道だったら女性じゃ運転できませんよ。でもどうにか簡易舗装が小さな農道にもゆきとどいているから女性でも大丈夫。で、そういうなかにもう一つプラスαの要素が加わってくれれば、「あ、今日ここに来て良かった」とか、「ここで働けて良かった」っていう養分がね。そういう意味では農村も、もう一段階グレードアップ、バージョンアップする時期に来ていると思いますね。

きり絵

夕陽が沈むときの農村のシルエットといったら・・・、日本人の原風景じゃないですか。そりゃ都会のビルのシルエットも 悪くはありませんよ。でも、田舎の良さと言うのは肌合いの優しいシルエットなわけですよ。優しい姿の木であったり農家であったり、そこを鳥がヒュッと横切ったり。そういうものを大事にしているという誇りをもてる農村、夕陽を毎日見れて得だと思える農村でないと意味ないじゃないですか。そのためには、ある程度経済的な裏付けもなきゃダメですよね。その点、長期ビジョンをもった農業政策は大事ですし、きちっとやってほしいと思います。


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