農村ニッポン興味シンシン●アン・マクドナルド  新・田舎人16号

マガジンラック

新・田舎人

アン・マクドナルドの「農村ニッポン興味シンシン」(1)
田植えスナップショッツ

アン・マクドナルド氏 アン・マクドナルドさん
エッセイスト。カナダ出身。カナダの高校・大学時代に日本へ留学経験をもち、卒業後日本での農村暮らしを経て、日本国内及び海外の農山漁村を体験取材して歩く。カナダ・マニトバ州政府駐日代表、県立宮城大学講師、上智大学コミュニティカレッジ講師などを務める。

あら!値上げしたの!?九百八十円プラス五パーセントの消費税-
なんてお値段!モンペがここまで値上がりするとは思わなかった。モンペは“値段据え置き”のままで静かに世の中から姿を消すとばっかり思っていたのだが、想像以上に“シブトイ”。

モンペをはじめて手に入れたのは一九九〇年のこと。長野県信濃町(黒姫)で初田植えをやるときの“記念”として買ったのだった。当時七百七十円だった。消費税なし。
写真

そう、九〇年のグレーの冬の幕が閉じると農家たち-おもにはじいちゃんやばあちゃん-は冬眠から醒めたように、そとでコツコツニコニコと農作業に取りくみはじめる。土づくり、なわしろづくり・・・春先にはじまる“米づくりの原点”から“手伝いという名の観客”をしていたわたしにとって、本番の初田植えは待ち遠しかった。だから張り切ってモンペまで準備したわけ。

田植えってどんなもの?と黒姫の農村塾「富夢想野塾」の塾生だったわたしは、あちこちの人びとに聞いて回った。

“昔話としての田植え”の答えがやったら多かった。なぜか、みんな機械化まえの話をとくとくとする。今はほとんどすたれてしまったあの“結いの世界”を懐かしむ論調。

もっとも主流を占めた意見。

「田植え?それは大変、大変。とてもじゃないけど、大変。とにかく大変。」

話を聞くだけで、やる気が・・・。

初田植えの日が、いよいよやってきた。黒姫山を背中にした盆地の田んぼで、風間家族と一緒に朝から、その日、一日中微笑んでくれていた太陽が山の彼方に消えるまで、黙々と働いた。

あの日の印象。ずばりABC-。

A・テレビゲーム・受験勉強・サラリーマン型農家などという“世の中現象”のなかにあって、家族が揃ってやる“週末田植え”はなかなか質のいいファミリー・タイムなのでは?

B・作業そのものは楽。少なくとも熊本で十日間やった機械なしでのイグサ植え体験と比べたら、なんてことはない。大変という形容詞は、九〇年代の田植えには、あっていない。もっとも、下準備とあとの管理を背負わざるをえないばあちゃんとじいちゃんは大変だが。

C・田んぼの維持・保全の世代交代という日が来たとき、息子の代は十分力になるのだろうか!?


あれから八年。田植え体験はその後、合計六回。どの経験もスナップショットのように心に焼きついて残っている。

二回目は、朝からザーザーとずーっと降っていた雨の中の田植えだった。あのときはファミリー・タイムというより“お年寄り田植えタイム”だった。孫たちは家の中で・・・。

三回目。太陽が熱い火を吹いていたあの田植え。あくる日、イセエビになったわたしの身体の動きは鈍かった。
写真

四・五回目。キャーキャーワーワーと叫びながら、にぎやかにやった。若い東南アジア人と日本人のギャルとボーイ-わが県立宮城大学の学生たちを二年連続で大学の裏にある田んぼに連れていった。田んぼに入ると「農作業っていやだ」という学生たちのせりふがパーっと消えた。そして、「これまで農業という職業に対する誤解や固定概念・偏見を持っていた」と日本人・東南アジア人の若い子たちが、つぎからつぎへと話すのだった。

-農業の見直しというか再評価は、美しい写真集を見たり、もっともらしい記事や論文を読むよりも、実際に、足を泥にどっぷり漬けることから、じわじわと始まるのではないかと、わたしは、このごろ思っている。

そして六回目。一九九八年五月三十日、姨捨での「棚田田植え&更科そば打ち」に参加。今までの平地のそれと違い、“初棚田で田植え”をこれからやるのだと思うと、お腹の中で蝶が踊っているような感じでドキドキ。よく説明できないが、棚田にはフツウの田んぼとは、別世界というイメージがある。なぜか。それは、真っ二つに別れた顔を持つから。美の顔と陰の顔。つまり、目で見た美しさと心で重く感じる棚田というものの維持史・人間史。

能登半島の棚田で一生働いた女性たちの健康診断を担当した婦人科の先生の話を聞いたことがある。「棚田での仕事は女性の身体にどんな影響を与えるか?」と聞くわたしに、ずばり、一言-「恐ろしい影響」。わたしは、フェミニストではないが、おなじ女として、その話を聞いたあと、棚田を見る“目”が変わった。

ネパールやインドネシアの棚田を見て歩いたときに思ったこと。ああ!ここには機械化や農業の労働力の衰退化や減反などのまえの日本がある。近代化から取り残された棚田は“文明の犠牲”なのかしら?それとも?
写真

日本の全水田は約三百万ヘクタール。その中で、棚田は約二十二万ヘクタール。全水田の八%-一割にも満たない。姨捨がある山の多い長野県では、棚田は全水田の十九%-約二割を占めている。

棚田の保全・保存・維持・支持などという議論がピチパチピチパチされている今日このごろ。そんな世論を背景に、この日の姨捨での棚田田植えは誕生した-とわたしは勝手に想像している。なかなか多面性のあるイベントだった。今どき棚田での田植えだけでは、初心者は集まらない。これは、過去の苦い経験から得た知恵なのかしら?やはり初心者をつかむには、さまざまな味つけや田植えプラス・アルファにしなければ人は集まってこない。とくに不便なところにある棚田ほど。


棚田保全・保存のわたしなりの結論。

またまた、ABCで-。

A・まず、なにより「維持は農家の責任」という声を止めること。棚田は国土の一部として、国民みんなのものだという認識を広めることが大切。だから、国民を現場に積極的に来させようとする今日のようなイベントは必要。もちろん、線香花火気味ではあるが、今日“棚田田植え行事”に参加した百人の中でひとりでも棚田の保全活動を本気でやる気になったら、大成功なのでは。

B・オーナー制度・棚田貸します制度をもっと広げる。細かい問題はあるが、内(農家)と外(町の人間)との絆づくりという面では、今のところこのシステムはよい。どうこのシステムを磨いていくかは、各地域が独自の試行錯誤をやりながら工夫していく。国民の浄財を集めたり企業に援助を求めたりすることも検討課題。棚田保存NPOなんて素敵!

C・最後に文部省の出番。文化財という指定は結構で名誉のある話かもしれないが、それだけでは無責任だという気がしてしかたない。責任とらなくっちゃ。義務教育のカリキュラムの義務科目のひとつに「棚田の世話」を入れる。修学旅行あるいは研修旅行に、棚田田植えをはじめ、農村ホームステイを指定。

裸足で姨捨の棚田に飛び込んだ十一歳の寺沢君の叫びが忘れられない。「これは日本人の肌にあうぞ。気持ちいい!」

(日本語で執筆 あん・まくどなるど)


バックナンバー 次へ

疏水名鑑

デジタルアーカイブス

水土の礎

Think About 2030

世界かんがい施設遺産