新・田舎人13号

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新・田舎人

心が荒れてしまった日本人

ところで、館長は川を重視された発言をされていますが、それには何か理由が?

鈴木/川とは縁が深いのです。中学までは隅田川、津軽では岩木川、東北大学へいって広瀬川、阿武隈川。熊本では白川ですね。
しかし、川の現状は・・・。上流は森が荒れて保水能力がなく、中流の都市部では川は排水路となり、下流の海では魚が減っている。だから、そういう川の実態を流域住民が自分の目で見て知り、わが川を大切にしなければならないといっています。

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たとえば、欧州では戦後ライン川が汚れてしまった。すると沿岸7か国が協力する。日本の場合、川といえば水争いに象徴されるように我田引水、自分の利益を守ることしか考えない。それでもまだ農業社会だった間は、何世代もが同居した家で田んぼの横に住み、水や川とのふれあいがあった。川の土手には草が生え、虫が卵を生んで、その卵が川へ落ち魚の餌になるという生態系があった。
それが工業社会になるとどんどん変わってゆく。先進国の共通する体験ですね。だけれども工業社会になるまでにイギリスは120年、ドイツは100年、フランスは140年の歳月をかけています。日本は戦後の40年、たった40年の間にいっぺんに変化してしまった。向こうは社会の変化と同時に、その社会で生きてゆくためのモラルを考えながら変わっていった。日本はその時間がなかったから、心が荒れ果ててしまっているわけです。
川や自然についても同じようなことがいえます。向こうは長い年月の間にうまく自然と共存し、わが川であるという認識をもちながら暮らしてきたから、ライン川が汚れればすぐ取り組むわけです。しかも周辺各国が協力して。山もそうでしょう。
昔の日本人は、自分が絶対に会うことのない子孫のために木を植えた。ところがいまは、自分が生きているうちに金にならなければいけない。たった40年で、自然への愛着心を失ってしまったかのようです。


文化と歴史をはぐくんできた川

川の問題と取り組まれる場合、まず流域の伝承芸能から入られるとうかがいましたが・・・。

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鈴木/世界の文明の発祥をとってもそうでしょう。川は常に文明や文化を生んできました。川の流域は水を 求めて人が最初に住むところです。
人が住むところに文明、文化ができる。どの川の流域にも誇るべき文化、すごい歴史があります。ところが住民の多くは、その地域の川がどういう文化を生み、どういう歴史をたどってきたのかご存じない。これでは川に対する愛着心はわかない。
各河川の流域で埋もれたり、途絶えてしまった伝承芸能を復元しているのも、祖先の素晴らしい文化を住民の方に思い起こしてもらいたいから。そのうえに、素晴らしい文化を生んだ川がこのままでいいのか、流域住民全員で考えてゆくことが大切だと思うからです。
川が汚れていても生活は困らないでしょう。ですが、汚れた川を見たときに心が痛む。これでは魚が棲めないじゃないか、子どもが遊べないじゃないかと、心が痛む。この痛みが川や地域への愛着心であり、この痛みを回復するかどうかが川の問題です。川も心の問題なのです。
しかし、大都会ではそれが難しい。あどドロドロの川を住民自身の手で回復することなんてとてもできませんよ。だけれども、土と水、川が接している地方の人には、まだ自分の手で川をきれいにできる時間があるし、その努力はひとり一人の住民がしなければならない。
私の目標は、熊本県のみなさんの郷土愛をはぐくむお手伝いをすること。川は郷土愛にふさわしい文化を生んできたんです。


知らなかった農村の現実

活動の拠点を熊本に移されてから10年目ですが、ふり返られていかがですか?

鈴木/私は、"先祖代々の地縁と血縁を大切にし、文化や福祉を出前することが地方行政だ"と主張してきました。その意味で、熊本へ来てまず半年間かけて県下98市町村(当時)を全部まわり、住民の方々と膝をつき合わせて話し合いました。

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そこで驚いたことが二つあります。一つは、私たち日本人がいかにたくさんの精神性を稲作から学んできたか・・・。その具体的なあらわれが数世代ものエネルギーが注込まれてきた神楽、獅子舞などの伝承芸能です。さっきまで農作業していた人が、神楽の面をつけると神になって、たいへんな力で踊り舞う。私がはじめて体験した文化エネルギーでした。
もう一つびっくりしたのは過疎だったのです。農業についていろいろ論議がありますが、30年、50年後に誰が日本の米をつくっていると思います?このままでいったら、近い将来に稲作株式会社が出来て、東南アジアの人が日本でお米をつくることにもなりかねない。そうしたら、あの伝承芸能はどうなりますか。農村を失うということは、日本人が心を失うこととイコールですよ。
田んぼの畦道に立って、この過疎の現実を見たとき、日本の政治と行政はどうしてここまで農山漁村を追い込んでしまったのかと激しい怒りを感じると同時に、自分は日本を知らなかったと思いました。
私、NHKを退職するときの共同記者会見で「あと一本番組をつくるとするなら?」という質問に「農業の番組をつくりたい」と答えました。私はNHKで3年間農事番組を担当していたことがありました。ちょうど農業構造改善が行われはじめた時期です。あれから約35年。あと一本というなら、その35年を集大成して農業の番組をつくりたいと思った。 ところが、過疎の現実を目の前にして、私は恥ずかしくなった。農業番組をやった経験があるのに、この35年間農村の現実に気づかなかったのですから。結局、あれは農業技術番組だったんですね。農村の人の心を扱ったものではなかった。農家の心のひだに入っていけなかった。それは熊本へ来て9年たったいまでも恥ずかしく思っています。

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